
「旅」というテーマのこのブログでは全く毛色が違う記事ですが、筆者個人の出来事や感じたことなどを連ねるコラム的な脇道コンテンツです。
ずっと気になっていたドラクエ3のリメイク[HD-2D]をとうとう最後までクリア。
ストーリー自体はまあ既に知っていたので、新しい感動というのはないんだけど、自分自身がリアルで歳をとってからプレイしたせいなのか、今までのドラクエ3のプレイとは違った視点で感情移入してしまった。
積みゲーへ
ゲーム自体はかなり前に購入していたんだけど、なんだかずっと手をつけてこなかった。
いわゆる積みゲーという状態。
なぜかって、ドラクエ3はこれまでも色々な形でリメイクがされてきていて、その度にほとんどのバージョンをプレイしてきていたから。
流石に同じストーリーをもう一度プレイしてもなあ・・という思いが結構あって、中々手を付けていなかった。新規プレイと言うより周回プレイの延長をしているような感覚というか。
それでもちゃっかり購入してはいるんだけども。
勇者は冒険に出なかった
まあそんなこんなで積んでいたんだけど、先日やっとこ気持ちが乗ったので、えいやっとプレイ開始した。
そしたらまあ、流石に最初の方はそれなりの新鮮さを感じられた。
グラフィックも綺麗というかHD-2Dのなんとも柔らかな描写が心落ち着くし、音楽は言うまでもなくオーケストラで素晴らしいの一言だし、ドラクエの世界に帰ってきたという感覚が少し心地よかったのかな。
冒頭の流れで、王様に謁見に行くシーン。
自分でもどうしてなのか今となっては分からないけど、普通と反対の選択肢を試してみたいという思いが急に出てきて、お母さんの指示を無視して王様との謁見をしないことにしてしまった。
どうせ断ったところで、正しい選択肢選ぶまでストーリー進まないんでしょ?なんて思って、母親からの「王様のところに行かなくていいの?」「本当に行かないのね?」の再三の問いにも、頑なな対応をとっていた。
そしたら、お母さんがとうとう「そう、分かったわ」とかそんなことを言って、王様に会わないことを受け入れてくれた。
ゲーム的にはそのまま街の中を自由に動ける状態になった。





強くて深い母親の愛情
そうなった瞬間、すごい罪悪感に襲われてしまった。
初めて母親に反抗してしまった気分というのかな。
うまく形容出来ないんだけど、母親が諦めなのかどんな感情か分からないにしても、勇者の意志を尊重してくれたことに対して、嬉しさよりも申し訳なさや恥ずかしさが前面に出てしまったといえば近いかもしれない。
とにかく、「やっちまった・・」感でとりあずぶらぶら町の中をうろつくことになった。
どんな顔して家に帰ればいいんだよ。。なんて思いながら、何も考えていなさそうな町の中の人達を観察しつづけていた。
適当に町中をまわってから、行くところもないのでそーっと家に帰ったんだけど、そしたら母親はただ何も言わずにいつもと変わらず?優しく迎えてくれた。
この瞬間、なんか母親という存在の大きさとその愛情の強さや深さ、尊さなんかを強烈に感じてしまった。
思えば、このプレイによって今回の私にとってのドラクエ3の視点というか感情移入先が勇者ではなく母親になったのかもしれない。
私は男なので、厳密には母親というよりか親と言う方が近いかもだけど、とにかく、母親の愛情の深さを強烈に感じた瞬間だった。
そんなこんなで、心の中で母に何度も謝りながら、絶対次の日こそ王様のところに行くぞ!!と決意した次第。
母親の愛情が世界を救う
そして長い旅路の末、母親の素晴らしい愛情を注がれて育った勇者とその一行が、とうとう諸悪の根源たる大魔王を倒し世界を救うわけです。
RPGというジャンルの代名詞を形作ったともいえるドラクエ3のストーリーは、王道ゆえ新鮮さこそ薄いものの、熟練されたそのストーリーは何度経験しても色褪せない魅力がありますね。
んで、そんな勇者の活躍の陰にはここにも母親の愛があったと私は考えている。
魔王を倒す旅路は長く、世界中を端から端まで旅するので、当たり前だけど1日や2日で終わるものではないわけです。
そうなると、旅の最初の町であるアリアハンには何年も帰らないわけじゃないですか。
まあゲーム的にいえばルイーダの酒場があるから、ちょくちょく戻ってくる機会があるといえばあるんだけど。
筆者も町に帰えるのはルイーダの酒場に用がある時だけで、酒場に寄ったらまたすぐに冒険に戻るというプレイをしていたんです。
で、ある時ふと、たまには自宅に顔を出してみるか!となったんですね。
なんか特別なイベントとか会話があるのかな?なんて思いながら。
そしたら、その時はたまたま夜だったんだけど、自宅の玄関前でお母さんが立ってるじゃないですか。
どうしたんだ?と思って話しかけたら、「お帰りなさい。遅かったね。さあ入ってゆっくり休みなさい」的なことを言って家の中に連れて行ってくれたのですよ。



なんかね、ここでもまた、どうしようもないくらい母親の奥深すぎる愛情を感じてしまった。
勇者がいつ帰ってくるかなんてお母さんには分からないじゃないですか。携帯電話とかなさそうな世界だし。
ルーラとかアバカムとかラナルータとか科学を遥かに超えた魔法は存在するのに、電話のように遠隔地間の連絡手段だけはないように思う。
なのに、このお母さんは
夜になると家の前に立って、もしかしたら今夜帰ってくるかもしれない息子のことを待ち続けているわけですよ。
それも一晩中、朝まで。毎日毎日、雨の日も風の日も。
それ考えただけでちょっと涙腺が緩みました。
母親の愛情って、こんなにも深くてしかもなんて尊いのか、、と。
この時、どうやら私は今回のプレイでは勇者ではなくて母親に感情移入してしまっているのだと痛感した。
振り返ってみれば、冒頭書いたように、お母さんが勇者の意志を尊重してくれた時から感情移入はしていたんだと思うけど、それを認識したのはこの瞬間だった。

そしてEDで泣いた
最後のボスを倒してEDに入ったんだけど、前回のリメイクのプレイから間も空いていて、EDでどういう結末になるかはほとんど覚えていなかった。
なので、勇者が元の世界に帰れなくなってしまうという結末になることは忘れていたんですよ。
そのことを知った瞬間に最初に脳裏をよぎったのはお母さんでしたね。
閉じ込められてしまった世界にも太陽こそ戻ったけど、元の世界と比較したらなんか狭いし窮屈感があったというのもあって、母親に会いたいという思いと併せて元の世界に帰りたいと強く感じました。
でも、どうやら元の世界に帰る手段は完全に閉ざされてしまったようで、それを受け入れていく、という感じの流れのEDになっていくわけです。
もちろん、解釈は自由だから、その後勇者一行は元の世界に帰る手段を見つけて元の世界で幸せに暮らしましたとさ・・。
なんていう結論を自分の中で作るのもすごく良いと思うよな、、なんて頭の中でぐるぐる考えつつ。
まあそんな思いが頭をめぐりつつ、EDが進むんです。
でも、他のことは正直どうでもよくて、とにかくお母さんがかわいそうすぎて辛くてEDというよりお母さんのその後がどう描かれるのか?が気になって仕方なかった。
EDでは、魔王がいなくなって平和になった世界で、上から下まで世界中あらゆる町の老若男女がお祭り騒ぎしている描写がされている。
でも、そんな幸せいっぱいな世界の中でただ一人、勇者のお母さんはこの状況をいったいどんな気持ちで受け止めることになるのだろう・・と思って、どんどんいたたまれなくなっていった。
どんな結末でもいいから、とにかくなんでもいいから、お母さんにも幸せになっていてもらいたい!
そんな描写がくることを願いながらEDを見続けたんですね。
そしたらね、EDの最後の方でしっかりお母さん映るんです。
町のあちこちで人々が喜んで飛び跳ねて踊りくるっている中で、勇者のお母さんだけは、自宅の勇者がいた部屋の中の椅子に一人で座って、目の前にロウソクみたいなのがあって(※ろうそくは最初から置いてあるオブジェクトなので、別にEDに向けた演出ではないんだけど、画としてマッチしすぎている)微動だにしないお姿が。




世界中が喜びの渦に包まれているという描写がされていく中で、最後に映るお母さんの画。
これはもう本当に涙なくしては見ていられない。
この時のお母さんが、
「よっしゃあああ、世界平和になったぜひゃっほおおおおおおぽい」っていう感情でないことが確実なシーン。
これがそのEDの画。↓↓

この人にとっては、夫を失い、最愛だった息子ももう二度と帰ってこない・・・。
なんですかこれ?
・・・さすがにかわいそうすぎませんか?
この記事書いてる今ですら、少し涙目になったくらい。
ゲームの冒頭から旅の最中まで、母親の愛に強く感情移入してしまっていたせいだとは思うけど、
勇者の行く末とか世界の平和とかもおうどうだってよくて、ただただお母さんの最後のシーンだけが辛くて悲しくて泣きたくなった。
勇者は元の世界に帰れなくなり、お母さんは最愛の夫と息子を失った。
この家族は、世界を平和にする為に大きすぎる代償を払うことになった。

今にして思えば、勇者の旅立ちの日、きっとお母さんは心のどこかで旅に行かせたくないという思いがあったのだろうと感じた。
だから勇者が「王様に会わない」と言った時も、なんやかんやで勇者の意志を尊重することを選んだのかなと。
お母さんも心の中で迷いが僅かにあって、きっと内心複雑な気持ちだったんだろうと勝手に頭の中で補足してしまう。



そして、そして伝説へ
というわけで、ゲーム自体は今さら語るまでもないくらいの名作だし、王道のストーリーは今の時代も充分楽しめる内容だった。
そしてなにより印象的だったのが、昔プレイしたことがあるゲームであっても、時代や環境が変わればまた新しい感動があるんだってこと。
それを私はドラクエ3で知ることが出来た。
当たり前の話かもしれないけど、ドラクエ3が出た当時くらいの時と今では、プレイしている人達も子供から大人になっていると思う。
当時のプレイヤーはゲームの中で勇者となって冒険に心を躍らせていたんだろうけど、それから10年以上の年月が経っているわけで、当時のプレイヤーだった私達もあれから大人になった。
勇者となって冒険に心を躍らせる時代は過ぎたのだと思う。
今度は私達が母親や父親などの大人サイドに立ち、新しい世代の勇者たちの冒険を見守りながら支えていく。
そんなことをゲームを通じて考えされられた。
ドラクエ3恐るべし。
そして、
母親と勇者(息子)がまたいつか再会出来る未来が来ることを願ってやまない。



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